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2011年10月 9日 (日曜日)

古い介護観。

随分前になりますが、今年のお盆に祖母に会いに行ったときのことです。

 

自分にとってショックな出来事がありましたので、

ずっとココロの中にそれが重くあり、

どこかで示しておきたい、いや…と葛藤しながら

2か月を過ごしました。

でも、やはり言葉にしておくことにしました。

 

 

祖母は、隣県の特別養護老人ホームで生活しています。

数年前からほぼ寝たきりとなり、

認知症も進行して日常的に人の手を必要とする要介護状態にあります。

 

遠方なのでそうそう頻繁に会いに行くことは出来ず、

年に数回、家族と一緒に面会に行っています。

今夏は、妻子が夏休みの帰省中だったので、

母と一緒に日帰りで会いに行くことにしました。

 

朝から車で走ること3時間余、

目的のホームに到着しました。

祖母に会いましたが、前からあまり状況は変わらないように見受けられました。

前回は桜の木の下で写真を撮りましたから、

4ヶ月ぶりだったと思います。

 

祖母はベッドに横になっていて、しばらく話しましたが、

僕のことは僕だと最後まで認識してもらえませんでした。

祖母からは甥(母の従兄弟)の名前しか出てきませんでした。

 

でもショックだったのはそういうことではありません。

確かに、元気だった頃の、僕が夏休みに遊びに行っていた頃の、

祖母の優しい笑顔を思い出すと

泣きそうになるくらい淋しい思いがありますが、

今の状況からすれば、当然と受け止めざるを得ないからです。

 

 

 

しばらくベッドサイドで話していましたが、

散歩に出てみることにして(暑かったので室内ですが)

看護師さんにお願いして車椅子に乗せてもらいました。

祖母は足も拘縮しており、自分で歩くこと、車椅子への

乗り降りも一人ですることは出来ないからです。

 

ホームの中を少し三人で歩いて、途中でお茶を飲みました。

そんなことをしていると、祖母が

「横になりたい」

 

と言い出しました。

 

時間は11時前だったかと記憶しています。

 

 

僕はそのとき、

 

「もうちょっとでご飯だから、座っておいたら」

 

と言いました。

 

僕の心の声:

「あと30分もすれば、昼食介助でまた起きなきゃいけなくなる。

さっき見受けたところでは今日は職員さん少なそうだったし…

面会来てるからって手間をかけさせるの、やだなあ」

 

 

しかし祖母は納得せず、横にならせるよう繰り返します。

 

しぶしぶ僕は職員さんを探しに行って、

男性介護員さんを見つけ、ベッドに戻してくれるよう頼みました。

面倒なことを頼まれたと思われはしないかとびくびくしながら。

少しして介護員さんがやってきました。

 

そして、ごく当たり前のように、淡々と、

祖母に声をかけてから、ベッドに戻してくれました。

 

介助してくれているとき、母が、

先日祖母が叔父の家(祖母の自宅)へ一時帰宅したとき、

ひどく機嫌が悪かった話を聞いたと言いました。

 

すると件の介護員さん、

「○○さん(祖母)は、座っている時間が長くなるとしんどくなるんですよね。

多分この前帰られたときも、車の時間が長かったから、

身体がしんどくて機嫌も悪くなってしまったんだと思いますよ」と。

 

その説明に母はいたく納得していました。

僕はかの介護員さんの、愛想はありませんでしたが

的確な介護と説明に感心しました。

 

 

それから再びベッドで話していましたが、

今度は祖母が

 

「トイレに行きたい」

 

と言いました。

 

 

そのとき僕は

「オムツもしてるし、出ても大丈夫だよ」

と話しました。

 

やはり祖母は首を縦に振らず、返事さえしません。

 

このときも僕は、心の中で、

「食事前の忙しい時間に、普段はおそらくトイレに行っていないであろう祖母の

誘導の介助をすることは、面倒だと思われるに違いない」

「家族が面会に来ているからといって、そのときだけ

良い顔をして介助されるのを見たくない」

とまで思っていました。

 

今度は母が職員さんを探しに行って、

さっきとは別の男性介護員さんがやってきました。

 

すぐに祖母の耳元に顔を寄せて、意向を聞きました。

トイレに行きたい気持ちを確認すると、

少し離れたところにあったポータブルトイレを持ってきて、

笑顔で僕たちに

「ちょっと待っててくださいね」と告げ、カーテンを閉めました。

 

待っている間、祖母の様子は音でしかわかりませんでしたが、

祖母が自分のペースで、安全に介助してもらっているのはわかりました。

 

少ししてカーテンが開いて、祖母のすっきり落ち着いた顔が

ベッドにありました。

介護員さんはさわやかに会釈して

「ごゆっくり」と立ち去って行きました。

 

 

それから少しだけ話をして、昼前には

祖母にまた来る旨を伝えて帰路につきました。

 

 

帰りの道中、ハンドルを握りながら、

僕は恥ずかしいやら悔しいやらの気持ちでいっぱいでした。

母に「ばあちゃんはいいとこに居させてもらっているな」というのが

精一杯でした。

 

 

僕がショックを受けたのは、

自分の内にある、時代錯誤の介護観。

しかも身内のことなのに。

そしてそんな自分が福祉の現場に身を置いていることの情けなさ。

申し訳なさ。

社会に対してもばあちゃんに対しても。

 

 

祖母が「横になりたい」「トイレに行きたい」と言ったとき、

僕が返した言葉。

それは僕自身が特養で働いていたときに、

現場から排除したかった言葉たち。

施設の、職員の事情でお年寄りの日常がつくられ、

“終の棲家”に「個」が無い現実を、

僕はどうにかしなきゃ、って思ってた。

研修や勉強会を企画したり、色々やってみたけど、

頓挫した。そして僕は去った。

 

でもこの夏、その忌み嫌ってた言葉は、

僕の内から出てきた。

そして今現在の現場は、

もうそのレベルではなくなってきているのを実感することになった。

 

遅れてる。

僕の頭の中も、心の中も。

 

これで現場を語るのは、恥ずかしいこと。

 

 

今は施設に送ることもある立場。

たまには人に話をしたりもする。

 

こんなんでいいのか。

厚顔無恥とはこのことか。

 

 

恥ずかしながらも、お年寄りに向き合っていかねばならない。

 

願わくば、せめてばあちゃんの気持ちを受け止められる自分になるために。

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