2014年3月28日 (金曜日)

手話。

今日から職場で手話講座が始まりました。


利用者さんに聴覚障がいの方があり、
コミュニケーションの助けになれば、との意図で企画されたものです。

対象は全職員ですが、
主催が我が部署なので、企画準備から手伝わせてもらっています。

研修扱いですが、残業ではないにも関わらず、
部署関係なく沢山の職員さんの参加がありました。


90分の講義でしたが、
手も頭もフルに使って、
あっと言う間に終わりました。

「おかえり」と「ただいま」が
手話の表現には無い、という話が印象的でした。

つまり、手話によるコミュニケーションには、
対面している相手が常に必要。

前記の二つの挨拶は、
対面して交わす言葉ではないので、手話で表現しないとのこと。

納得でした。


コミュニケーションということを考えていく中で、

有用なヒントを得られそうな感じあり。


これから一年間の講座の予定。

少しずつ、学んで行きます。

2012年5月14日 (月曜日)

福祉「専門職」。

今日は職員研修。


昨日打ち合わせと称して一緒に飲んだ、
知り合いの大学教員を招いての接遇研修1日目です。


途中被災地でのボランティアの紹介も挟みながら、

午前中なんて殆どレジメに入らず、

伝えたいことを話してもらいました。


基本的な流れは、

職員さんたちに〈コミュニケーション・ワーク〉を
学んでもらうこと。


どうやってお年寄りと関わるか、
お年寄りの声を拾い、
どのようにその思いを受け止め、
生活につなげていくか?



現場未経験の職員さんも多いというのを
事前に耳に入れておいたので、
講師からは基礎的な考え方から伝えてもらえたように思います。



あとはどこまで各々の中に入ったか。



来週の第2回に少しでも見えたらいいけど、

来月以降の楽しみ?でもあります。


今日はあくまで仕掛け。


これからです。





講師から職員さんたちに、

沢山エールをいただきました。



「単なる福祉職ではなく、福祉専門職になってください」




先日の介護技術の研修でメッセージのあった、

具体的信念…の言葉にも通ずるかと思います。



明確な考え(理念?)で、正しいコミュニケーションスキルを用いて
お年寄りと関われる。


それが専門職。



僕も同意です。


だけど僕もそこまで明確でない。
自信もない。




僕がこれまで自らを振り返っていつも思ってきたこと。




ただの「人のいい兄ちゃん」になってないか?




いつも自戒してました。
度々自省。自己嫌悪。



でもそうとしか出来なかったんだ、とも。



とことんそうなってやろうと思ったこともある。





だから、
ソーシャルワーカーだって、
社会福祉士だって、
自信もって名乗れたことはない。



ココロのどこかで斜に構えて「どの面下げて」と自分で言ってる。




だけど、
自信のないことの裏返しは、
自信もちたいことなんだな、って。




勿論この仕事してて自信なんて出来ないし、
下手に自信あるワーカーを僕は全面的に信用しない。




だけど、今日後で話聞きながら、


「専門職」になりたい、って思った。



それはもしかしたらこの道を選んだときの、
最初のモチベーションだったかもしれない。

今思えば。





新人職員さんたちと学びながら、
僕も前に進んでみたいと思います。

2012年5月13日 (日曜日)

研修準備。

今日の日曜日は
昨日のお出かけから帰って熱発した長男を休ませ、
エネルギーの有り余った次男坊の相手で
公園行ったりしてました。


夕方からは、
明日職場で行う接遇研修の講師が前日入りされたので、
打ち合わせ兼ねて飲みに行って来ました。



講師の方とは十年来のお付き合いなので、
こちらがしようとしていることを理解していただいた上で、
プログラムを作ってもらっています。



あとはこれを現場がどう咀嚼していくか。



これからの方が、課題は大きいです。



施設内にある空気もスッキリしていませんが、


進めていくだけです。



しっかりとお年寄りに向き合える職員集団になるために

正念場だと思っています。

2012年5月 9日 (水曜日)

具体的な信念。

今日も介護・看護職員対象の職員研修を終日実施しました。

 

 

講師として招いたのは、他施設の作業療法士さん。

 

基本的介護技術を教えていただきました。

 

 

このOTさん、なかなかの人物で、

年下ではありますが、

しっかりした知識と現場経験をもって

説得力のある講義をしてくれました。

 

普段、老人保健施設に勤めていますが、

施設の枠を離れ、仲間たちと新しい介護を創ろうと

ネットワークを広げているという活動もしている方です。

 

 

所謂教科書的ではなく、

現場実践の中から出てきた言葉。

話の端々に現場への思いが散らばめられていました。

 

 

受講した職員さんたちは、

「久々に身体動かしたから疲れた~」と言いながら、

いい顔していました。

現場未経験の人たちはすっと入ったようですし、

現場経験の人たちにとっても新鮮で良かったようです。

 

まだ目の前のお年寄りはいませんが、

職員さんたちの気持ちが少し上がったかな…。

 

 

OTさんの言葉の中で、

 

「職員は他の人に代わることができるが、

お年寄りは介護してもらう人を選べない」

 

という話がありました。

全くその通りです。

スタートすれば一人の職員が何人かのお年寄りと関わることになります。

しかし、お年寄りは好むと好まざるとに関わらず、

その日、その夜目の前にやってくる職員に身を委ねねばなりません。

 

そのことは、思っておかねばなりません。

 

(現行の制度で介護保険が進む以上、

私たち在宅の支援者も同じことが言えるかもしれません)

 

「だから」と件のOTさん、

 

「正しい介護で安楽に生活してもらうことで、

お年寄りが変わっていくんです」

 

現状の寝たきりや重度化は、

施設や病院の“間違った”介護が生み出している部分も

多分にあると。

 

 

最後に、彼は“これから”の職員たちにメッセージを送ってくれました。

 

 

「正しい介護をして、お年寄りの生活を支えていく。

そのために、

『具体的な信念、具体的な知識と技術』を持ってください」と。

 

 

正しく進むためには、自分の中でのしっかりした、なおかつ

明確、具体的な「核」たるものが必要。

 

そういうふうに僕は受け取りました。

 

施設全体もそうですが、個々人についても。

 

勿論僕自身も。

 

まだ見えない部分も沢山あるけど、

進まなきゃいけないし、進めなきゃいけない。

これまでの歩みの上に今があるから。

 

 

「プロの施設になってください。皆さん一人ひとりも」

 

 

変な自信でも虚勢でも思いあがりでもなく、

しっかり向き合える人間になりたい。

2012年4月28日 (土曜日)

悩める1日。

アルバイト最終日でした。



来月から入職する職員さんたちを主な対象とする研修の資料づくりをしてました。



これが悩ましい…



というのも、

この度加わるメンバーには、
福祉の仕事未経験、
学校で学んだこともなく、
勿論資格もない…

そういう状況で働きはじめる人が数名います。



彼等に、一番最初、何を伝えるべきなのか。



施設長からは、

「福祉とは何か」を話してほしい、と。




これは、難しい。




10数年現場に居させてもらっているけど、

非常に難しい質問。




とりあえずレジメはつくりました。


なかなか進みませんでしたが…




考えてもらいたいこと、

一緒に考えたいことを、

盛り込んだつもりです。





でも、


「福祉とは?」なんて、

いつまでも答はないのかもしれません。

2012年4月20日 (金曜日)

介護ソフト。

今日はソフト会社の方が来られて職員皆で説明を受けました。

 

現場で使うソフトの導入には紆余曲折があって…

 

当初、主だった職員が話を聞いたソフトが、

理事長と業者の関係等々で急遽変更され、

現場で使いにくいソフトに決まりかけました。

その後、現場からの声で再度変更することなり、

今日のプレゼンに至ったという訳です。

 

説明を聞いたソフトは、使いやすいように思えました。

このソフトの導入で決定され、話が進んでいます。




説明を聞きながら…

自分が特養に勤めていた7年前から、

時代は大きく変わったんだと感じていました。

 

記録をコンピューターで管理していく。


確か10数年前にそんな話が始まった頃、

電子での管理に反対したのを覚えています。

そして当時の上司に怒られたことも。

「やってもないのに言うな」と。


人相手の仕事。

見えない行間、キーボードでは現せない空間があるはずと、

僕は思っていました。

そんな仕事を機械に管理できるはずがないと。



しかし介護保険になって、

帳票の管理はパソコンなしでは有り得ない状況となりました。



必要な記録さえ処理できてなかった僕が今更言えることでもありません。




ただ、言えることは、時代が動いていること。

 


真っ当な業務、利用者さんの支援に使えるものは

しっかり活用していきたいと思います。

2012年4月11日 (水曜日)

6月1日。

指定申請中の施設のオープンがほぼ6月に決まりました。

 

当初の予定から1ヶ月遅れた形になります。

 

指定基準を満たすために必要な人員を確保できなかったというのが理由です。

 

 

しかし当初のオープン予定の来月1日には20名の職員が入職します…

 

とりあえず給料の確保はしてくれると言っているけど。

 

 

4月から働き出したケアスタッフ10数名、

今は日課を作ったり物品の準備をしたり、

でも1週間経ってきて、どうもモチベーションが下がってきているようです。

 

僕は直接施設にタッチしていませんが、

関わるものとして少しずつ話を聞いています。

 

彼ら曰く、

「初めに言われたことと話が違う」

「こんなんでやっていけるのか不安」

 

指定申請が遅れていることも不安の一つになってはいますが、

ユニットケアをしていく上での介護の人数が想像より少ないこと、

法人の方針が見えず、理想だけでは現場が回らないこと、

色々各人の中で気づきが出てきているようです。

 

職員の核になるべき存在の人材まで、

具体的に退職を考えるとの言葉まで出てきています。

 

 

皆、新しい施設で働きたいと集まってきた人材。

色んな思いはあると思いますが、

人材的に総じて悪くないと感じています。

 

どうにか皆でスタートを切りたいと願っています。

 

僕のポジションは微妙ですが、

出来ることもあるのではと思って、話を聞いています。

2012年4月 9日 (月曜日)

ハードル。

新職場に行きはじめて明日で一週間です。

 

時間の流れが今までと全く異なり、

長いような短いような一日を日々過ごしています。

 

 

書類作りの毎日…

静かな事務所でパソコンを敲いています。

 

利用者さんや地域の方々や同僚たちの喧騒に囲まれていた時間から

全く変わってしまいました。

 

 

時折臨時で対応する施設見学がうれしかったりします。

 

 

まだいつのオープンか目処が立ちませんが…。

 

 

 

そんな中で特養の相談員と頭をひねっていること。

 

 

どうにか生活保護の方に入所してもらえないか、という案件。

 

一般的には、新型特養(ユニット型)の場合は入所ができません。

 

しかし問い合わせの中で生活保護の方の入所希望があると。

 

相談員としては状況を鑑みて入所してもらいたいとの思いがあり。

 

 

抜け道を探しています。

昨年春、公から入所の可能性に関する資料が出ているのを見つけました。

様々な減免制度を利用することによって、

もしかしたら出来るかもしれません。

ただ、市がそれをよしとしてくれるかどうかは???です。

 

ハードルは低くないと思います。

ただ、トライしてみる価値はあるかと。

 

 

相談員と話しました。

「こんなことで悩んだりしたいですよね」

「こういうことが本来の役割ですから」

 

 

日々、指定申請のための書類にらめっこだけでなく…

(勿論これから仕事をしていくための前提として非常に重要なことを

させてもらっているのはわかってますが)

 

2011年10月 9日 (日曜日)

古い介護観。

随分前になりますが、今年のお盆に祖母に会いに行ったときのことです。

 

自分にとってショックな出来事がありましたので、

ずっとココロの中にそれが重くあり、

どこかで示しておきたい、いや…と葛藤しながら

2か月を過ごしました。

でも、やはり言葉にしておくことにしました。

 

 

祖母は、隣県の特別養護老人ホームで生活しています。

数年前からほぼ寝たきりとなり、

認知症も進行して日常的に人の手を必要とする要介護状態にあります。

 

遠方なのでそうそう頻繁に会いに行くことは出来ず、

年に数回、家族と一緒に面会に行っています。

今夏は、妻子が夏休みの帰省中だったので、

母と一緒に日帰りで会いに行くことにしました。

 

朝から車で走ること3時間余、

目的のホームに到着しました。

祖母に会いましたが、前からあまり状況は変わらないように見受けられました。

前回は桜の木の下で写真を撮りましたから、

4ヶ月ぶりだったと思います。

 

祖母はベッドに横になっていて、しばらく話しましたが、

僕のことは僕だと最後まで認識してもらえませんでした。

祖母からは甥(母の従兄弟)の名前しか出てきませんでした。

 

でもショックだったのはそういうことではありません。

確かに、元気だった頃の、僕が夏休みに遊びに行っていた頃の、

祖母の優しい笑顔を思い出すと

泣きそうになるくらい淋しい思いがありますが、

今の状況からすれば、当然と受け止めざるを得ないからです。

 

 

 

しばらくベッドサイドで話していましたが、

散歩に出てみることにして(暑かったので室内ですが)

看護師さんにお願いして車椅子に乗せてもらいました。

祖母は足も拘縮しており、自分で歩くこと、車椅子への

乗り降りも一人ですることは出来ないからです。

 

ホームの中を少し三人で歩いて、途中でお茶を飲みました。

そんなことをしていると、祖母が

「横になりたい」

 

と言い出しました。

 

時間は11時前だったかと記憶しています。

 

 

僕はそのとき、

 

「もうちょっとでご飯だから、座っておいたら」

 

と言いました。

 

僕の心の声:

「あと30分もすれば、昼食介助でまた起きなきゃいけなくなる。

さっき見受けたところでは今日は職員さん少なそうだったし…

面会来てるからって手間をかけさせるの、やだなあ」

 

 

しかし祖母は納得せず、横にならせるよう繰り返します。

 

しぶしぶ僕は職員さんを探しに行って、

男性介護員さんを見つけ、ベッドに戻してくれるよう頼みました。

面倒なことを頼まれたと思われはしないかとびくびくしながら。

少しして介護員さんがやってきました。

 

そして、ごく当たり前のように、淡々と、

祖母に声をかけてから、ベッドに戻してくれました。

 

介助してくれているとき、母が、

先日祖母が叔父の家(祖母の自宅)へ一時帰宅したとき、

ひどく機嫌が悪かった話を聞いたと言いました。

 

すると件の介護員さん、

「○○さん(祖母)は、座っている時間が長くなるとしんどくなるんですよね。

多分この前帰られたときも、車の時間が長かったから、

身体がしんどくて機嫌も悪くなってしまったんだと思いますよ」と。

 

その説明に母はいたく納得していました。

僕はかの介護員さんの、愛想はありませんでしたが

的確な介護と説明に感心しました。

 

 

それから再びベッドで話していましたが、

今度は祖母が

 

「トイレに行きたい」

 

と言いました。

 

 

そのとき僕は

「オムツもしてるし、出ても大丈夫だよ」

と話しました。

 

やはり祖母は首を縦に振らず、返事さえしません。

 

このときも僕は、心の中で、

「食事前の忙しい時間に、普段はおそらくトイレに行っていないであろう祖母の

誘導の介助をすることは、面倒だと思われるに違いない」

「家族が面会に来ているからといって、そのときだけ

良い顔をして介助されるのを見たくない」

とまで思っていました。

 

今度は母が職員さんを探しに行って、

さっきとは別の男性介護員さんがやってきました。

 

すぐに祖母の耳元に顔を寄せて、意向を聞きました。

トイレに行きたい気持ちを確認すると、

少し離れたところにあったポータブルトイレを持ってきて、

笑顔で僕たちに

「ちょっと待っててくださいね」と告げ、カーテンを閉めました。

 

待っている間、祖母の様子は音でしかわかりませんでしたが、

祖母が自分のペースで、安全に介助してもらっているのはわかりました。

 

少ししてカーテンが開いて、祖母のすっきり落ち着いた顔が

ベッドにありました。

介護員さんはさわやかに会釈して

「ごゆっくり」と立ち去って行きました。

 

 

それから少しだけ話をして、昼前には

祖母にまた来る旨を伝えて帰路につきました。

 

 

帰りの道中、ハンドルを握りながら、

僕は恥ずかしいやら悔しいやらの気持ちでいっぱいでした。

母に「ばあちゃんはいいとこに居させてもらっているな」というのが

精一杯でした。

 

 

僕がショックを受けたのは、

自分の内にある、時代錯誤の介護観。

しかも身内のことなのに。

そしてそんな自分が福祉の現場に身を置いていることの情けなさ。

申し訳なさ。

社会に対してもばあちゃんに対しても。

 

 

祖母が「横になりたい」「トイレに行きたい」と言ったとき、

僕が返した言葉。

それは僕自身が特養で働いていたときに、

現場から排除したかった言葉たち。

施設の、職員の事情でお年寄りの日常がつくられ、

“終の棲家”に「個」が無い現実を、

僕はどうにかしなきゃ、って思ってた。

研修や勉強会を企画したり、色々やってみたけど、

頓挫した。そして僕は去った。

 

でもこの夏、その忌み嫌ってた言葉は、

僕の内から出てきた。

そして今現在の現場は、

もうそのレベルではなくなってきているのを実感することになった。

 

遅れてる。

僕の頭の中も、心の中も。

 

これで現場を語るのは、恥ずかしいこと。

 

 

今は施設に送ることもある立場。

たまには人に話をしたりもする。

 

こんなんでいいのか。

厚顔無恥とはこのことか。

 

 

恥ずかしながらも、お年寄りに向き合っていかねばならない。

 

願わくば、せめてばあちゃんの気持ちを受け止められる自分になるために。

2017年12月
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