2017年8月 6日 (日曜日)

ハチロク。

今日という日は、毎年重い。

朝、ひとり平和公園へ行って、
あの時間をあの場所で共有して来ました。

八時十五分。

初めて薄眼を開けて、見てみた光景は、

全てが止まって、
祈りだけが、そこに有りました。

さっきまで急ぎ足だった女子高生も、
汗を拭きながら誘導している市職員も、
誰も彼も、目を閉じて、祈ってる。


核兵器廃絶。

原爆許すまじ。


もしも72年前に、何かが掛け違えてたら、
ここにこうして居なかった僕。

生きること、やはり今日は考えます。


式典から帰って、長男と行ったBBQ。

命有ればこそ。

奪われた人たちに、心捧げたい。


そして、命ある限り、

政治も、宗教も、思想にさえ影響されない平和を
どうにかつくるべく、生きたい。

2016年8月 6日 (土曜日)

原爆忌。

8月6日は特別な日。

だから仕事は休みました…
っていうか、
平日なら朝平和公園に寄ってから出勤します。
休めていない昨今ですが、
勤務表上は休みだったので、
それをいいことに、
何もなければ職場へ顔出さないと決めての、今朝。

久々に式典終わるまで会場周辺に居ました。

周辺、というのは、
一ところに落ち着いていなかったからで。


そんな僕が何を言うか、ですが、
敢えて感想言うならば、

残念な式典でした。

アメリカ現職大統領来広の年の平和宣言は、
もっと心震わせてもらいたかった。
ある意味、及第点。
だけどそれ以上ではない。
もっと現在過去未来に切り込まなければならない。
フクシマにも触れるべき。

ガッカリ感が最初に来てしまい、
読み込んでいない僕が言えることではありません。

70周年の去年よりも、
もしかしたら今年の方が
世界的に動きを作れるチャンスだったかもしれない。

そこを考えると、
やはり残念。

市長さん、
色んなバランスお考えと思うのですが、
貴職は被爆都市の市民代表。
今日だけは、もっとストイックでいい。
かなり歳下ですが、同じ被爆二世として申し上げます。
僭越ながら。




今日は異常に家の用事が多くて、
原爆の関連で興味あったものもありましたが、
家を出たり入ったりで、参加出来ず。

ただ、
こんな慌しい猛暑の1日、
単なるバタバタで過ぎて行きますが、
そんな日常が吹っ飛ぶことが原爆だったんだなと。

昼からの用事は
長男の夏休み宿題のフォローでした。

英国について調べたいと言うので、
ネット使ってみたり、
僕の知識で語ってみたり。

でも結局、気付いたら
何で原爆が落ちて、
欧米でどのように捉えられているかを
長男相手に力説していました。

そりゃ、欠伸も出るわな。

シバきましたが(苦笑)。


カミさんと次男坊は
サッカー試合→Jリーグ観戦。

今日は戦後初めて、
原爆の日に
おらが町の二大プロスポーツチームが
ホームゲームを行った日になりました。

これは意義深いことです。

ホントはサッカー行きたかったんだけど、
懸賞外れたんで、涙飲みました。
個人的に応援している選手も初出場したのに…。
しょうがないです。



悲しいかな時の流れは早過ぎて、
気付けば原爆を取り巻く状況は変わっています。
高校生や大学生のときに
あの時あの場所で感じた空気感は
変わっています。
感覚的ですが、
薄まっているような。
拡散はして、問題意識は拡がっている部分あります。
でも深みがなくなって来てるような。
今日の市長さんの宣言も
もしかしたらそういうことかもしれない。
しかもその薄まりようが、
見えざる手に導かれているようなチカラを感じます。
多分僕自身の老化も影響あるでしょうが、
それだけではないはず。


僕らは、もっと足掻かねばなりません。

2016年5月27日 (金曜日)

WELCOME、THANKS。

よく、よく来て下さいました。

 
おそらく、お国で渦巻く各論を思い起こすとき、
 
きっと、二の足を踏んでこられたんだとお察しします。
 
 
今のお立場になられて、
 
かの国で演説されたことに、
 
僕は勇気を感じました。期待もしました。
 
 
しかし、
 
任期がカウントダウンに入ったこれまでに
僕らこの街の人たちが望んでいた結果は
残念ながら見せていただけませんでした。
 
でも、
 
今日、来て下さったこと。
 
現職アメリカ合衆国大統領として。
 
71年前に、この街と先達たちが焼かれた爆弾を落とした国の総責任者として。
 
 
どんなに大きなことか、
 
未だに信じられないでいます。
 
 
憎いとか、詫びろとか、言う気はありません。全く。
 
あなたが今日、ここに立って下さって、言葉を交わし、発していただいた、
そのことが大きすぎて、
正直言って興奮してしまいます。
 
 
あなたがあの場所に立たれたとき、
 
僕は近くで会議中でした。
 
終わってから、あなたの残り香を感じたくて、
あの場所に行ってみました。
 
多くの警察官、
僕と同じように残り香求める人たちで
ごった返していました。
 
僕は何より驚き嬉しかったのは、
 
公園の入口の道に
 
日の丸と星条旗が掲げられていたこと。
 
 
乗り越えて、未来に向かわなきゃいけない。
 
そんな決意を見た気がして。
 
 
ここまで辿り着くまでの、
あなたの苦悩と決意を思うと、
それは計り知れないけれど、
涙が出てきます。
 
ありがとうございました。
 
お気をつけて。
 
 
 
バラク・オバマ大統領閣下

2016年5月11日 (水曜日)

大統領。

27日におらが町に来るらしいです。

 
 
昨日ニュースで知ってから、
誰彼となくそのことを言ってしまいます。
 
当日は街中で会議があるので、
無事行けるかどうかが心配のタネです。
 
 
アメリカ合衆国大統領、来広。
 
そのことがどんなに大きな意味を持つか。
 
世界にとって。
この街にとって。
被爆者にとって。
僕にとって。
 
 
今朝、新聞見た次男坊がカミさんと話していました。
 
「オバマさん、来るんだって」
「そうみたいね」
「僕さ~、お話してみたいな」
 
被爆三世の彼はまだ、
焦土となって71年の今、
爆弾を落とした国の代表者が足を踏み入れるということの
重さについて理解できないかもしれません。
 
 
日米両国で色んな意見が出ているようです。
 
謝罪を前面に出さなかったから、来れるんだとか。
 
この街の世論の多くは
「謝らなくていい。ここであの時何が起きたか、その後どうなったか見て欲しい」
のようです。
 
中には
「感情的に言えば、謝ってほしい」との意見も見ました。
 
 
僕自身はと言えば、
あの場所に立って、見て、感じてもらうこと、
そのことこそが大事だという意見です。
謝る謝らないとかそういう議論に終始してしまうことが
未来を創れないように考えるからです。
 
アメリカを代表する人が、そこに来る。
 
僕は生きているうちにそんなこと有り得ないと思っていました、正直。
 
でも色んな記事を読んでいると、
彼は布石を打ってきていたんですね。
勿論タイミングもあろうかと思います。
もしかしたら何かこの二週間のうちに起きて
おじゃんになるかもしれません。
 
 
僕は依然パールハーバーに行ったことがあります。
ミズーリ記念館も訪れました。
日本人がその場に行くことで、何か言われることは想定していました。
言葉はなくとも、視線とか。
でも、そのようなことはなく、
真珠湾の美しさが眩いほどでした。悲しいくらいに。
 
 
オバマさん。
僕たちが育って、生きているこの街を見て欲しい。
そしてあの日から先輩たちがいっぱい亡くなったことを知ってほしい。
ゴメンナサイは要らない。
人間の営みの積み重ねと、それを奪うことの愚かさを
あらためて発信してほしい。
 
それがあなたと同じ時代に生きている、
ひとりの人間の、願いです。
 
 
Welcome to HIROSHIMA.

2015年8月 6日 (木曜日)

原爆忌。

70年目の「8月6日」。

 
出勤前に、平和公園に行きました。
 
8:15までは居れず、慰霊碑までも近寄れなかったけれど、
70年前から行方知れずの伯父さんには挨拶できました。
 
総理の挨拶に云々とか、色々耳には入りますが、
 
今日はただ、ただ祈りたい。
 
祈ること。
そして自分のできることをすること。
 
如己愛人。
平和を。

2014年8月 6日 (水曜日)

原爆忌。

69回目の原爆の日。

職場に無理言って午前中お休みいただき、
平和記念式典に来ています。


いつも暑い八月六日ですが、
今日は大雨。
聞けば43年ぶりだとか。


慰霊碑に奉納された5507人のお名前。
あまりに重いその数。

戦争という大義名分で行われた人体実験。
失われた命と暮らし。
幸せも不幸せも全て。


来年はついに70年。


式典中、会場離れて歩いていたら、
大通りを街宣してデモ行進する団体に出くわしました。

祈らず叫ぶ輩に腹が立って、
静かにするよう言いました。ケンカ口調ですけど。
当然スルーされたんですが、
自己嫌悪です。

怒りで平和は創れない。



平和公園では、若い学生さん達の色んな取り組みがあります。

彼ら彼女らの思うところを上手くシンクロさせねば。



自分がここに産まれて生きている意味を、
今日ここで考えさせられています。

2014年3月11日 (火曜日)

祈。

東日本大震災から今日で3年になります。


色んな番組やイベントやらがあったりしますが、

阪神のときから時の流れを比べてみると、

すごくスピードアップしている感覚がじんわりあります。


僕がそれだけ歳とったのか、
もしかしたら、
時代の流れに乗れていないだけなら、
それでいいんですが。


伝わるのも早くなった情報は、

流れて消えるのもそれ以上になった感が拭えないのです。

三陸も、宮城も、フクシマも。
あのとき帰宅困難者で溢れた首都も。
それだけじゃない。
風評被害もあるし、
政府や東電の対応に腹立てたけど…

残念なことが山ほどあって、
嬉しいことはそれなりにあって、


でも、僕自身、
どこまでこの3年間、
自分事に出来ていただろう。


同胞が沢山波にのまれて、
放射線量に怯えて過す毎日があること。


3年前の昨日までの生活がなくなり変わってしまったこと。



今日あらためて、忘れずに生きたい、と。


午後からはアポ無かったので、
五分だけラジオ聞かせてもらい祈りました。

2014年2月 5日 (水曜日)

思想を超える。

先日来、昔から世話になっている方が始められたSNSのグループに参加しています。

反戦反核反原発の意思を持つ人ならば
誰でも参加できるグループです。

そこからネットワーキングして、
未来に繋げていきたいという思いでスタートし、
僕自身賛同するところなので
招待受け参加させてもらいました。


その中で、
ある映画に対する評価はメンバー間で非常に高いようです。

ただ、その原作者さんの昨今の言動が引っかかる、というメンバーもいて、
グループから距離を取ろうとしています。

僕が誘った人だったので、
件の原作者さんについて僕も調べたところ、
僕自身も思想的な遠さを禁じ得ませんでした。


グループは、思想信条ではなく、
純粋に反戦反核反原発の結びつきと考えています。
だからどんな考えがあっても結構なんですが。


グループ云々のことよりも、
自分自身の中で思想的なものがそれなりにあって、
乗り越えられず足かせにさえなり得ることが分かってしまいました。

本物の愛と平和は、
異質なものをも受け入れ取り込むことによって生まれると思います。

だけど
戦争を良しとする、
他国他人を非難する、
そういう人達を受け入れられない僕は、
キャパが小さいんでしょうね。

多分殴られた反対の頬は出せない人間。


どうにかならんかこの狭い心。

2013年8月 6日 (火曜日)

二世から三世へ。

午後からは息子の夏休みの宿題に取り掛かりました。

 

新聞づくり。

 

先日乗った「被爆電車」のことを記事にしようということまでにはなったのですが…

 

ネタがイマイチ少ないということで、

今日しかできない取材に行こう!ということになり。

 

 

今度は車で。

 

日米共同の研究所、昨日今日はオープンハウスをしていたことに気づき、そこへ。

 

 

外観は見ることがよくあったのですが、僕自身入るのは初めて。

「米国の研究機関」のイメージが強く、

なかなか前向きに捉えることのできなかった存在でした。

 

それは、原爆が街レベルの人体実験だったという紛れもない事実を

目の前に突きつけられるような気がして、怖かったのです。

 

でも、子供の宿題にかこつけて、足を踏み入れてみました。

 

 

建物は古かったですが、非常にレベルの高い研究をされていました。

場所ごとに研究員さんがおられ、熱心に説明してくださるのですが、

あまりにレベルが高く、理化学的な知識に乏しい僕としては

ちょっと肩身狭かったですが。

 

ただ、何十年レベルの研究をずっとされていることがわかって、

これは、始まりは戦争であり実験だけれども、

未来に向かっては、科学のあるべき姿のように感じられました。

 

 

最後、健康診断みたいなのしてもらえたんですが、

思った以上に体重増だったのが一番ショックだったりして…。

 

 

今日、息子たちと平和公園や研究所など、巡ることができました。

被爆二世の僕が、三世の彼らと原爆の話をしながら歩けるのは、

貴重でもありますし、大切にしたい時間です。

 

「被爆三世」にピンとは来ていなかったみたいですが、

「じゃあ四世は誰?」と聞かれました。

 

「君らの子どもだよ」

 

「まじか!」

 

 

カープが広島でこの日に試合をするようになって、

良かったと思いました。今日の中継を観てて。

二世の吉川晃司さんの日本語版『イマジン』。心に響きました。

どんな形でも繋いでいきたい。

 

 

物事の体験って、実体験がなくてもエッセンスは伝わると信じます。

 

もし全部体験しなければならなかったら、人間はパンクします。

100年前と違って、書物も通信も情報も近くにあります。

人間が偉くなったとは思わないけど、

賢く情報を得る手段は身につけたと思うのです。

 

きっと30年もすれば、自らの言葉で語れる人はほとんど居ないはず。

だからもっと受け止めて。

伝える方法は、今日の『平和への誓い』じゃないけど、どんな方法だっていい。

 

僕は勝手にバトン持っていると思い込んでいます。

どうやって渡すか。

70年まであと2年を切りました。

僕のバトン渡し。これまで以上に真剣な課題となりました。

非日常。

今日は原爆の日。

夏休みをいただきました。


登校日で出かける子どもたちと前後して平和公園へ。


8時15分。黙祷。


平和宣言、平和への誓いを聞いて、

自宅に急いで帰り、
登校日から戻る子どもたちを出迎えて、

夏休みの宿題の調べものにて図書館に行くついでに

再度平和公園へ立ち寄りました。



息子も「今日はいいよ」と付き合ってくれました。




職場で、原爆の日だから休みが欲しいと上司に相談したとき、

ちょっと異質な感じの表情をされました。


思想信条に近いものと捉えられるかもしれませんが、

僕の感覚としては遺族的なものと考えています。


68年前までは、何でもない8月の一日だった今日が、

こんなに意味深い日となってしまったこと。


おそらく何の変哲もない日常が、
一気に非日常となった事実。


僕は非日常として8月6日を感じ、捉えたい。

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